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3分で読み終わるハワイ史①

ちょこちょこハワイについて書いていくのに、歴史的な背景を知っていると理解しやすいので、乱暴にハワイ史をまとめました。


ハワイの基礎データについては、 ハワイ好きモナコイナーによるハワイの概説


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ネイティブハワイアンの暮らし

1778年1月18日、後にポリネシアン・トライアングルと呼ばれる地域の北部頂点を航行中、ジェームズ・クックは、ハワイ諸島を発見した。

1805年に、カメハメハ大王はハワイ諸島を統一し、ハワイ王国を建国した。

当初、ハワイ王国は英国との関係を重視していた。
これはユニオンジャックが含まれたハワイ王国の国旗に見る事ができる。

ネイティブハワイアンは、アフプアアと呼ばれる地域単位を基礎として生活していた。
アフプアアとは、川を中心とした生活単位であり、その形状は山頂を頂点とし、沿岸部を底辺とする三角形で、住民達はこの地域内で、生活に必要な物の全てをまかなうことができた、つまり、住民は山で植物を採取し、谷でタロイモなどを栽培し、そして沿岸部で魚や海草などを得て生活していた。

住民たちは土地を耕す労働を提供し、収穫物を得た。 アフプアアは、アリイ(酋長)によって支配され、コノヒキ(水門の管理人)が管理していたが、土地は神々に所属するものとされ、住民のために使われなければならず、土地は取引の対象ではなかった。

また、ネイティブハワイアンは宗教的掟であるカプに従い生活し、カプは統治に利用されていた。
カプは、生活のあらゆる場面、すなわち、政治、宗教的崇拝、性行為、土地利用、農耕そして食事、遊びにさえ及んでおり、これを破れば死を持って償うこととされた。
後に、カメハメハ二世がカプを自ら侵すことで、事実上、法としての効力が失われていた。

1840年には、ハワイ王国初めての憲法が制定され、立憲君主国となる。
この頃から、キリスト教の宣教師によって、ハワイ王国の政治は影響を受け始め、白人の商人がハワイに流入し、土地の取引で問題を起こし始める。


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