3分でわかるハワイ史③
移民の国
サトウキビプランテーションは、従順な労働者としての移民を欲していた。ネイティブハワイアンは、賃金が安くても働くが、彼らは仕事をまじめに取り組まなかったし、ポルトガル人は勤勉であったが、彼らは賃上げを過剰に要求し、土地を買うお金を貯めるために働いているだけであった。1880年代において、ハワイ諸島にいた少数の日本人は、従順な労働者として、かなり高い評価を得ていた。それも、彼らの常にお風呂のことを考えていることと、奇妙な味の食べ物を好んでいたこと考慮したとしても、である。
中国人の欠点が何であろうと、彼らの利点は数の多さであった。ただ、彼らは契約もなしにやってきて、都合の悪いときにもやってきて、毎年どんどん増加し、1880年代中頃には、プランテーションでさえ持て余すほどやってきて、ついには彼らの入国が規制された。
彼らはあくまでも中国人であり続けたからである。
カラカウアは世界中を旅し、視察し、歴史上初の「世界を旅した君主」となった。カラカウアが日本を訪れた際には、ハワイ王国と大日本帝国とで、太平洋君主国家連合国となることと、皇子とカラカウアの5歳の姪のカイウラを結婚させることを明治天皇に提案している。