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大人の修学旅行①

複数の記事で構成されています。
すごく昔に書いたものを少し修正してリバイバル。
このシリーズでは、私とモナ弁先生の過去が明かされます。
分割して記事にした方が読みやすいのではないかということで、試してみます。




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私たちの出会い


 何度目の京都旅行だろうか。先生(モナ弁さん)の呼びかけで、私は先生の京都旅行へ付いて行くことになった。
 先生との出会いは、某大学法学部の一回生の春であった。

 私は、大学入学後に、司法試験を志す学生が門を叩く、某ゼミに所属した。法律を勉強したいという気持ちは持っていたものの、では何をすればいいのかと聞かれれば、首を傾げてしまう、私はそんな学生であり、某ゼミへ所属すれば、道を示してもらえるのではないか、そんな気持ちを漠然と持っていたものだ。

 先生も、このゼミに所属していた。私と先生の出会いは、このゼミであった。先生は、法学部に入学したのであれば、当然、司法試験合格を目指し、弁護士になるべきだという信念を持っていたようであった。

 先生は、仲間内でも特に優秀で、成績優秀者として奨学金を受け取り、法科大学院へ進学するときも、奨学金免除での入学を許されるような男であった。もちろん彼は、司法試験を上位の成績で通過し、弁護士となった。
 しかし、それでいて、先生は謙虚な男であった。

 先生と共有する逸話は、海へ携帯電話を捨てるための旅行、富士登山、四国の旅などと、いくつかあるものの、本稿では、今回の京都旅行に絞って記すつもりである。
 京都旅行へは、大学でつるんでいた――学問の同志と呼ぶべきか、互いを堕落させた悪友と呼ぶべきか、わからないが、――仲間内、で京都へ行くことになった。

 運良く、予定を都合できたのは、私を含めて五名の同窓生であった。
 大学時代においては、変態コンビと言われ、大活躍であったハガチン、カツキ。ひょろりとした背格好のキッチョム、そして先生と私である。

 変態コンビの活躍は、記すべき点も多いが、彼らに残る僅かな名誉や名声を保護するために、本稿ではその表現を控える。
 彼らは、まごう事なき、真正の変態である。その点については、安心して欲しい、私が保証する。


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