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大人の修学旅行(全文)



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私たちの出会い


 何度目の京都旅行だろうか。先生の呼びかけで、私は先生の京都旅行へ付いて行くことになった。
 先生との出会いは、某大学法学部の一回生の春であった。

 私は、大学入学後に、司法試験を志す学生が門を叩く、某ゼミに所属した。法律を勉強したいという気持ちは持っていたものの、では何をすればいいのかと聞かれれば、首を傾げてしまう、私はそんな学生であり、某ゼミへ所属すれば、道を示してもらえるのではないか、そんな気持ちを漠然と持っていたものだ。

 先生も、このゼミに所属していた。私と先生の出会いは、このゼミであった。先生は、法学部に入学したのであれば、当然、司法試験合格を目指し、弁護士になるべきだという信念を持っていたようであった。

 先生は、仲間内でも特に優秀で、成績優秀者として奨学金を受け取り、法科大学院へ進学するときも、奨学金免除での入学を許されるような男であった。もちろん彼は、司法試験を上位の成績で通過し、弁護士となった。
 しかし、それでいて、先生は謙虚な男であった。

 先生と共有する逸話は、海へ携帯電話を捨てるための旅行、富士登山、四国の旅などと、いくつかあるものの、本稿では、今回の京都旅行に絞って記すつもりである。
 京都旅行へは、大学でつるんでいた――学問の同志と呼ぶべきか、互いを堕落させた悪友と呼ぶべきか、わからないが、――仲間内、で京都へ行くことになった。

 運良く、予定を都合できたのは、私を含めて五名の同窓生であった。
 大学時代においては、変態コンビと言われ、大活躍であったハガチン、カツキ。ひょろりとした背格好のキッチョム、そして先生と私である。

 変態コンビの活躍は、記すべき点も多いが、彼らに残る僅かな名誉や名声を保護するために、本稿ではその表現を控える。
 彼らは、まごう事なき、真正の変態である。その点については、安心して欲しい、私が保証する。

男たちの過ごし方

  一同が京都に集まり、団欒するのであるが、京都への移動方法は各々に委ねられた。
 私は昼の高速バスを使い、またある者は深夜の高速バスを使い、またある者は、新幹線で京都に入るなど、現地集合、現地解散という形式の自由な旅行であった。私が目を覚ました頃には、深夜バス組は到着し、喫茶店で時間を潰しているのだった。

 宿泊施設は、平屋を一棟ごと借りた。ロッカーに付けるような、ナンバーで施錠を外す鍵の付いた平屋であった。

 男五名が平屋に集まって何をするのか、気になった読者は多いと思う。それを余すことなく伝えるのは、私の文章作成能力では難しい。しかし、本稿を通じて、その例をいくつかお伝えできればと思う。

 ハガチンが、ニンテンドー64というゲームハードを持ち込んだ。仲間内で行われる娯楽と言えば、いつも「スマッシュブレザーズ」というゲームであった。

ハガチンは、
「スマッシュブラザーズを持ってきた」
 と言いながら、ソフトウェアを取り出した。

 出てきたのは、「ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー 電流イライラ棒」であった。
 懐かしいことこの上ないが、この間違えは、非常に残念であった。

 なぜならこれは、一人で遊ぶためのソフトウェアだからである。

 仕方がないので、「電流イライラ棒」で遊ぶことにした。

 私たちは、仲間のミスを責めない。どんなミスがあっても、いつでも仲間同士で助けあうのが常であった。

 「電流イライラ棒」は起動しなかった。

 肝心のソフトウェアを忘れたハガチンは、申し訳なさそうにしていた。そして、こう呟くのであった。
 「僕らは、イライラすることも許されないのか」
 ともかく、私たちはこのような集まりであった。

京都の物の怪

 私たちは、カツキの勧める京料理へ向かった。

 料亭まで、電車で移動した。私は、数年ぶりに切符を買った。私は、切符を使って電車に乗るのは久しぶりだと思い、切符を眺めていた。切符購入時間が表示されており、その時間を眺めながら、誰かがトイレへ行ったので、帰りを待っていた。
 トイレから帰ってきて、さて、電車に乗ろうというそのときには、私の手には切符が無く、ポケットの中にもなく、バッグの中にもなく、跡形もなく無くなっていた。バミューダトライアングルの中にでも迷い込んだのだろうか。
 京都にそんなものあるものか、あってはならないと強く思うが、私の切符は、忽然と姿を消した。

 懸命な捜索が行われたものの、今でもその切符は見つかっておらず、安否が案じられている。

 改札を出て、三メートル歩いたところで起きたこの事件は、今でも京都の七不思議に数えられているという。もはや、物の怪の仕業としか説明することができない。陰陽師も真っ青である。

 そういえば、先生は、着替えの服を持ってくるのを忘れた。これも、物の怪の仕業に違いない。

 就寝前は炬燵で暖を取りながら、語り合い、「人狼」というロールプレイングゲームをして盛り上がった。なお、何か特別に言及すべき高尚な話は行われていないことを断っておこう。
 「人狼」では、先生が大活躍であった。このゲームは、相手を説得させて、敵チームを倒すというゲームである。弁護士となる事が決まった先生は、次々と相手を倒し、勝っていった。
 もし、「人狼」の世界に紛れ込んだら、先生を真っ先に吊るさねばならない。先生が狼であったときには、被害は甚大なものになるであろう。

 翌朝、眩しい朝日に起こされた。この五人の中には、人狼はいなかったようで、誰も無残な姿で見つかることはなかった。

京都観光

  二日目は、伏見稲荷へ行き、その後、素敵な何かを求めて街を歩くという計画であった。
 「伏見稲荷」という具体的な固有名詞が存在するだけ、今までの旅行と違い、なんと計画的な旅行であろうか。
 もっとも、伏見稲荷という神社へ行きたいと言うことで、伏見に宿を探したのだが、我々の滞在した伏見に、伏見稲荷があるわけではないという事実が判明したのは、京都に到着した後である。その点は、いつものように無計画である。

 私とキッチョムは、一眼レフカメラを持ち歩き、伏見稲荷での写真撮影を楽しんだ。美しい写真の撮り方、撮るべき構図、そんな技術的な会話を道中にした。
 赤く、堂々と立つ鳥居の前で、外国人観光客とおぼしき一団が、カツキが記念撮影を頼んでいた。カメラに縁のなさそうな彼に、撮影を頼むとは、何を考えていたのだろう。カツキは、何とか撮影をし、その場を去った。

 この日の昼食は、キッチョム推薦の店のつけ麺である。昨日、京料理を十分堪能したので、私たちはいつもの食べ物を欲していたのである。もう、ジャンクフードが誰よりも食べたいのである。
 昼食後は、下鴨神社、団子屋と徒歩で巡り、バスで南禅寺水路閣へ赴いた。非常に美しい形式が私たちの前に広がった。もっと美しい景色を見るには、お金を支払わなければならないという。私たちは、貧しい故に、一円も財布から取り出すことなく、柵の外から綺麗な日本庭園を観賞し、興奮し、味わった。

トラウマのふぐ鍋と帰路


 本稿の表題となっている「大人の修学旅行」なのだが、これには意味がある。以前、大学の卒業旅行として、京都に一泊した。当時をと比べると、今回は、ようやく、八割の者が定職に就いた。無職であるのは先生ただ一人である。つまり、前回の旅行は「半人前の修学旅行」であった。しかし、私たちは、社会人になったものの、相変わらずにケチというか、貧乏性であった。

 京都の夕日を全身に浴びながら、夕飯を探し始めた。前回の旅行では、ふぐ鍋屋に引き寄せられるように入ってしまった。ふぐ鍋を食べて、あまりに高価な食物を食べて、錯乱してしまうキッチョム、ふぐ鍋屋で、緊張のあまり寝てしまう先生。詳しくは、他の旅行記の『そうだ、讃岐うどんを食べよう』を読んで欲しい。

「今日の夕飯は、今日しか食べられない」
 私たちはこんな言葉を標語としているが、私たちに強烈な記憶の爪痕を残したふぐ鍋屋は、この時には、もう存在しなかった。
 当時、社会人になったら、また来てここで食べようと誓ったふぐ鍋屋は、もう存在しなかった。
 あの日のふぐ鍋は、あの日しか食べることができなかったのだ。

 依然として、ふぐ鍋屋の傷跡に苦しむ若者たちから、リベンジの機会を奪ってしまった世知辛い世の中を憎むほかない。この若者たちが、この苦い思い出から、一刻も早く解放されることを祈って止まない。
 今日の夕飯は、インドカレーであった。
 昼にジャンクフードを食べたのにも関わらず、昨日の京料理の反動からか、皆の意見が、カレーを食べたいということで一致したからである。
 ちなみに、私の大好物は、ほうれん草で作る、サグカレーである。今日の夕飯は、サグカレーであった。美味であった。

 余談であるが、道中、居酒屋の多いとおりで、キャッチにとりつかれ、話しかけられ、田舎者はそのたびに足を止め、断り、のろのろと歩いて行き、そして次のキャッチに捕まっていた。これではいつまでもカレー屋へたどり着けないと、私は、この情況を打開すべく、策を講じていた。
  「オニイサン、オニイサン、ドコイクノ」
 とカレー屋へ向かうハガチンに、私自身がつきまとい、話しかけ続けるのである。既に、キャッチがとりついていると思えば、キャッチは寄ってこない、そんな推論を元に考え出された作戦であった。キャッチの経験が無いため、ボキャブラリーに乏しく、
 「オニイサン、オニイサン、ドコイクノ」
 としか言えず、間抜けであったが、無事に皆をカレー屋まで連れて行くことができた。
 カレーを堪能した私たちは、散歩がてら、歩いて宿まで帰ることにした。

 夜の京都を散歩するなんて、風情がある。伏見の平屋へ戻るのに、私たちは、二時間以上歩いた。
 もはや、これは散歩の域を超えたエクササイズである。私たちが宿泊したところは、もはや京都府内であっても京都ではないのだろう。
 そして、二時間歩く中、私たちがしていたことと言えば、しりとりである。これが知的な大人の嗜みである。

 翌朝、私たちは自宅へ帰った。
 今回の旅行は、現地集合現地解散であるから、皆とは京都駅で解散した。昼の高速バス、深夜の高速バスと各々の交通手段で自宅へ帰っていった。私は新幹線で東京へ向かったが、うっかりトレーナーを宿に置き去りにしてきたことは秘密である。これも物の怪の仕業に違いない。

以上


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