大人の修学旅行⑤



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トラウマのふぐ鍋と帰路


 本稿の表題となっている「大人の修学旅行」なのだが、これには意味がある。以前、大学の卒業旅行として、京都に一泊した。当時をと比べると、今回は、ようやく、八割の者が定職に就いた。無職であるのは先生ただ一人である。つまり、前回の旅行は「半人前の修学旅行」であった。しかし、私たちは、社会人になったものの、相変わらずにケチというか、貧乏性であった。

 京都の夕日を全身に浴びながら、夕飯を探し始めた。前回の旅行では、ふぐ鍋屋に引き寄せられるように入ってしまった。ふぐ鍋を食べて、あまりに高価な食物を食べて、錯乱してしまうキッチョム、ふぐ鍋屋で、緊張のあまり寝てしまう先生。詳しくは、他の旅行記の『そうだ、讃岐うどんを食べよう』を読んで欲しい。

「今日の夕飯は、今日しか食べられない」
 私たちはこんな言葉を標語としているが、私たちに強烈な記憶の爪痕を残したふぐ鍋屋は、この時には、もう存在しなかった。
 当時、社会人になったら、また来てここで食べようと誓ったふぐ鍋屋は、もう存在しなかった。
 あの日のふぐ鍋は、あの日しか食べることができなかったのだ。

 依然として、ふぐ鍋屋の傷跡に苦しむ若者たちから、リベンジの機会を奪ってしまった世知辛い世の中を憎むほかない。この若者たちが、この苦い思い出から、一刻も早く解放されることを祈って止まない。
 今日の夕飯は、インドカレーであった。
 昼にジャンクフードを食べたのにも関わらず、昨日の京料理の反動からか、皆の意見が、カレーを食べたいということで一致したからである。
 ちなみに、私の大好物は、ほうれん草で作る、サグカレーである。今日の夕飯は、サグカレーであった。美味であった。

 余談であるが、道中、居酒屋の多いとおりで、キャッチにとりつかれ、話しかけられ、田舎者はそのたびに足を止め、断り、のろのろと歩いて行き、そして次のキャッチに捕まっていた。これではいつまでもカレー屋へたどり着けないと、私は、この情況を打開すべく、策を講じていた。
  「オニイサン、オニイサン、ドコイクノ」
 とカレー屋へ向かうハガチンに、私自身がつきまとい、話しかけ続けるのである。既に、キャッチがとりついていると思えば、キャッチは寄ってこない、そんな推論を元に考え出された作戦であった。キャッチの経験が無いため、ボキャブラリーに乏しく、
 「オニイサン、オニイサン、ドコイクノ」
 としか言えず、間抜けであったが、無事に皆をカレー屋まで連れて行くことができた。
 カレーを堪能した私たちは、散歩がてら、歩いて宿まで帰ることにした。

 夜の京都を散歩するなんて、風情がある。伏見の平屋へ戻るのに、私たちは、二時間以上歩いた。
 もはや、これは散歩の域を超えたエクササイズである。私たちが宿泊したところは、もはや京都府内であっても京都ではないのだろう。
 そして、二時間歩く中、私たちがしていたことと言えば、しりとりである。これが知的な大人の嗜みである。

 翌朝、私たちは自宅へ帰った。
 今回の旅行は、現地集合現地解散であるから、皆とは京都駅で解散した。昼の高速バス、深夜の高速バスと各々の交通手段で自宅へ帰っていった。私は新幹線で東京へ向かったが、うっかりトレーナーを宿に置き去りにしてきたことは秘密である。これも物の怪の仕業に違いない。

以上


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