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自己責任とは #暗号通貨界隈のキーワードを考える


暗号通貨界隈では、「自己責任」という言葉をよく聞くが、いったいどういう意味だろうか。

自己責任の根拠

ありがたいことに、現代の日本には、個人には、自らの人生を自らの意思で脚本し、演出し、出演する自由がある。

個人は個人として尊重され、個人の私的な事項については、自らの意思に基づいて物事決定することができる。
つまり、他人との関係においても、自分は他人に強制されず、両者対等の関係で取引をすることができる。

現代の日本は、生まれによって定められた身分に縛られる封建制の時代ではなく、「全ての者が自由で平等な市民」であり、これを個人主義という。
(対義語:全体主義)

個人が自由な意思で物事を決定した結果、何か問題が起これば、それはその決定をした個人が責任を負うべきである。

これが自己責任の正体である。


暗号通貨は自己責任


「暗号通貨は自己責任」という言葉があるが、暗号通貨の非中央集権性に共感している人の間では常識として認識されている。
暗号通貨には一つの管理者が存在せず、自分で管理するほかなく、保有する通貨を紛失しても自己責任ということである。

これは、ウェブウォレットや取引所へ預けた場合にも同様で、そのウェブウォレットや取引所から自分の預けていた通貨が盗難されても、そこに預けた自分の責任として認識する人も多い。
もともと誰かに守ってもらえるような環境になかったので、そういうものと割り切っているのだろう。

ただ、盗難事件の場合、コインチェックのXEM盗難事件の犯人がいまだに捕まっていないように、その責任を追及することは難しいが、犯人に責任があるのは間違いないので、盗難被害に遭った本人に対して、第三者が「取引所に預けていたのは自己責任」というのは、なんとも意味のない説教ともいえよう。

取引所に預けていたら、そこに暗号通貨が集まるのだから、犯罪者が狙う合理性が高いし、実際に多くの取引所(Mt.GOXに始まり、ZAIFやコインチェックなど)やウェブウォレット(Monappyなど)が毎月、盗難被害に遭っているという事実を知っていれば、個人のPCで保管する方が安全なのではないかという判断にたどり着くのではないだろうか。

もちろん、それらを理解していて、取引所によって補填されると考えれば、取引所に預けることも判断としてはあり得る。
ともかく、どの保管方法がもっとも良いかは各人で考えて欲しい。

とはいえ、正確な情報なしには判断をすることは難しい。
モナコインができる以前とは異なり、今では日本語で情報の入手が容易になったので、是非Askmonaなどで情報収集するなどして欲しい。 モナコインを送れる掲示板、Askmona

「自己責任」は第三者から何の役にも立たない説教として使われることがある。

投資は自己責任


さて、では「投資は自己責任」という言葉で考えてみる。
「投資」というのは全ての者が一定のルールに則って資本を投じ、利益を得ることがあれば損をすることもある行為であると定義してみよう。

投資をする人は、一定のルールの下、損をするリスクを理解した上で投資を行うのであるから、その者が損をしたとしてもそれは自分の判断の結果であるから、受け入れなければならない、つまり自己責任である。

これは投資をする上での前提であり、投資をする者の一般常識であるが、この考えが前提となり、一般常識と言えるのは、きちんとルールが整備がされ、運用されてきたおかげである。

仮想通貨投資へ目を向けてみると、若干のルール整備の兆しはある。
しかし、ICOに目を向けてみれば、資金を集めることが目的で、達成するつもりがないホワイトペーパーが散見し、ブログを読んでみれば、運営から裏でお金をもらったブロガーが、さも第三者の客観的な視点で評価し、購入を勧めるステルスマーケティングが日常的に行われている。

これらはもはや、投資とは言えないと思うのだが、それに気が付かずにお金を差し出してしまう人(判断能力的弱者)が少なくない。
(もちろん、わかっていれば損しても自己責任だ。)

状況によっては、勘違いさせる(騙す)発言をした人に責任があるし、当の本人が投資は自己責任と言って責任を転嫁することは、なかなか悪質と言えるのだが、これを回避し、自己防衛をするためには情報を集め、思考停止せずに自分の行為についてよく考える他ない。
こちらも併せてどうぞ。暗号通貨投資で損する前に賢者が歴史に学ぶこと #暗号通貨界隈のキーワードを考える

「自己責任」は、人を騙した人の責任転嫁の手段として使われることがある。


なお、画像の男性は投資とも暗号通貨ともモナコインとも何ら関係のないファミリーレストランで割り勘の千円札を支払っている男性の写真です。

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