2013年から暗号通貨について活動している、とあるモナコイナーのブログである。

2018年8月9日木曜日

自由とはなんだろう ★「自由な服装」でビットコイナーは何を着る? #暗号通貨界隈のキーワードを考える


ビットコイナーは非中央集権的思想を持っていると言われる。
ここでは非中央集権的思想というのは、国家による統制を否定する思想としよう。

この国家からの制約を否定する考えは、言い換えると自由主義という。
自由主義を実現する方法としては、権力の分散が要であるので、自由主義と分散型という言葉と相性がいい。

詳しくは、「非中央集権とはなんだろう」

非中央集権とはなんだろう ★XRPがビットコイナーに嫌われる理由 #暗号通貨界隈のキーワードを考える

「暗号通貨は、非中央集権的であるべきである」と言われることがあるが、非中央集権とはなんだろうか。 中央集権の体制の国家。「中央集権」とは、統治権および財源が国の中枢機関に集中している体制のこと。 出典:Weblio というように、国家体制を表現する文脈で使われる。 中央集権とは、日本国では、主権者として「国民」が最高権力を持っているということを意味する。 ...
では、自由とは何であろうか。

これは、定義/価値観の問題なので、誰がどのような定義/価値観をしていようと間違いではないのだが、人によって定義/価値観が異なる場合は、どの意味で使っているかを把握して話さないと、会話にならないので気をつけたい。

一般的に単に、この言葉を聞くと、「好きなことを何してもいい」とか、「誰にも制約をされない」という意味(以下、「前者」という)で使うことも多く、特に暗号通貨界隈では、「何をしても自己責任だが、何をしてもいい」というニュアンスで理解している人が多い気がする。

しかし、自由であれば何をしてもいいのか、自由というのは何にも制約されないことなのかという考えも存在する。

この考え方は、自由というのは、好きなことを何してもいい、誰にも制約をされないということではなく、「他者の権利等を脅かさない限りにおいて好きなことを何でもできる」という考え方(以下、「後者」という)である。他人に迷惑をかける自由は存在しない、ということである。
例えば、組織にいる者が、「服装は自由」と言われれば、それは組織を害しない範囲で「好きな服装にして良い」と言ことであって、会社のイメージに悪影響を与えるかもしれない「半裸でネクタイ」等の服装を許可するわけではない。

この点を認識せずに生きていると、所々で不和が生じるのである。

ルールで禁止されていなければ、他人に迷惑をかけても良いと考える人がいる一方で、ルールで禁止されていなくても、他人に迷惑をかけてはいけないと考える人がいるのである。


「自由」に対する二つの考え方


前者からすると、後者は弱肉強食の世界で生温いことを言っている愚か者と映り、
後者からすると、前者は無秩序(カオス)を社会にもたらす自分勝手な人と映るのであろう。

前者は前者で確かに自由なのだが、やりすぎると権力による規制を招くことがある。
このときの規制の大義名分は、「他者の権利を守るため」である。
このとき、「投資は自己責任…。はい、では私はこの界隈からサヨナラー」と焼畑農業的な行為する者からするとノーダメージなのだが、このコミュニティに生きているものからすると、これは堪らない。

なお、中学生の社会科の授業で御馴染みの英国の哲学者ホッブズは、著書『リヴァイアサン』にて、何も制約が存在しない状態では人間は利己的で、自分の利益のため互いに闘争する(「万人の万人に対する闘争」)と表現しているが、これはまさに無秩序、漫画「北斗の拳」の世界的な自由ではないだろうか。
私の想像の中の「ビットコイナー」は無政府主義者であるので、おそらく無秩序の自由を良しとするのではないだろうか。
もしかしたら、権力に対する反抗として、敢えて半裸ネクタイを選ぶかもしれない…。
*そんなビットコイナーは存在しないかもしれないので、想像の中の「ビットコイナー」であると、あらかじめ断っておく。

無秩序の自由を謳歌しすぎると、逆に規制され、自由のない息苦しい世界になる。
元々金融業界は大変規制の厳しい業界であったこともあり、無秩序を作り出したスキャマーと呼ばれる者たちの活躍もあり、仮想通貨界隈はこれから多くのルールが作られていくことだろう。

追記 2018年11月12日
代表的なビットコイナーから回答をもらいました。
ビットコイナーは、半裸にネクタイは問題ございません。
ただし、文脈としては、大石さんが他者に迷惑かける自由も自由であると主張されている方に対して、そんな自由はないと言っていたので、大石さんは後者の自由を支持しているということになります。