2013年から暗号通貨について活動している、とあるモナコイナーのブログである。

2018年7月30日月曜日

暗号通貨は宗教か XRPとかBCHの聖戦  #暗号通貨界隈のキーワードを考える


「暗号通貨は宗教」と言われることがある。
私は宗教もしく宗教的だと思っているが、そもそも宗教とはなんだろうか。

とある研究者は、「事典類によると、神仏などの超自然的存在に対する信仰、教義、儀礼、組織などをもって宗教と定義している」という。

この定義によると、神仏とは何か、超自然とは何かという疑問が生じてしまうので、こちらで定義をして、当てはめる以上、単なる言葉遊び的になってしまうが、今回は、宗教とは、「何か対する①信仰、②教義、③儀礼、④組織などをもって宗教」と定義してみよう。






具体的に考えてみる


①信仰について
信仰とは、理屈の範囲を超えて信じることとしよう。また、理屈の範囲かどうかは、第三者が評価するものであることに気をつけよう。
信仰の対象は、その通貨のシンボルマークである。技術的特徴などが書かれたバイブルと言うべきホワイトペーパーの内容も、時に信仰の対象になりうる。運営が存在する通貨に関しては、運営も通貨のシンボルマークと同一視される。
そして、宣教師的な存在として信仰を広めるのが、インフルエンサーである。
ここでいうインフルエンサーというのは、つまり、開発者などの中心人物で、コミュニティでの発言力が強い者である。
多くの通貨には、右向け右といえば皆が右へ向くような強力なインフルエンサーがいるように思われる。もちろん、右向け右と言われても、間違っていたら向かない!と思う諸氏もいるかと思うが、コミュニティによっては素直に右を向く者もいるなという実感である。
なお、宣教師が攻撃的だと、そのコミュニティは攻撃的になるように思われる。

②教義について
教義とは、その宗派の正義である。教義は、宗教的な教えやその主張を意味するが、つまり、その通貨の設計思想や、明文化されていないが、その通貨のコミュニティの価値観がである。
BTCとXRPでは、その設計思想(正義)が異なり、BTCとBCHもその設計思想(正義)が異なる。
設計思想も、直接的には明文化されておらず、またコミュニティの価値観も明文化することは難しいが、インフルエンサーの発言が、その通貨の教義と言えるかもしれない。
内外の教義に反する言動は、その宗派の者たちの心をざわつかせ、時には火種をもたらことになる。
例えば、納得のできない理由でモナコインをディスると、暗号通貨界の厄介者と呼ばれたモナコイナーがその考えの改めるよう迫って襲いかかってくるので気をつけたい。

③儀礼について
儀礼とは、外部的に表示されている宗教上の行動と定義してみよう。
モナコイン界隈においては、グッズを作って、お互い交換する儀礼や、モナカードを制作してくばるという、とても平和的な儀礼が存在している。
また、モナコイナーは、モナコインちゃんという偶像を崇拝し、モナコインで買った米を食べ、日々祈りを捧げているとの噂があるが、定かではない。
コミュニティによっては、ひたすら上がれと祈祷することや、他の通貨やその通貨のインフルエンサーを叩くことで一人前の信者となる(ブロックされることが一人前の証)ことができる宗派も存在しているようだ。

④組織について
明文化したルールのもとでの組織化ではないが、自らをコイナーと自称することで、集団に思想的枠組みを与え、組織的な集団となっている。
モナコイナーは、一見、皆がバラバラにワイワイ楽しんでいるように見えるが、今よりも更に弱小集団であった2014年頃には、外敵(ビットコイナー)からの巨大のプレッシャーに立ち向かうため、集団の構成する者には、強い結束と同調が求められた。
(ただし、内部での統一感はなく、モナコインがなぜオワコンなのかと言う議論なども活発であったが、外部に対しては集団として強かった。)

当時、モナコイナーになった後に、脱モナコインを試みるのであれば、腕の一本はくれてやるという覚悟が必要であったほど、(悪い意味でも)モナコイナーの結束は強かった。

ちなみに、私は最近になってようやくビットコイナーと一緒にご飯に行くことができるようになった。

まとめ


暗号通貨は十分に「宗教もしく宗教的」と言えるのではないだろうか。

上記の話で大切なのは、自分は理屈に基づいて信じていたとしても、他人が理解できる範囲を超えていたら、それは信仰と見なされる。
必死に自分は理屈に基づいてその通貨を信じていると訴えても、それが他人に理解されなければ、「宗教だわ・・・」と思われるのである。

意外にも、ビットコイナーはビットコインがわからない奴には、わからなくていいと言う選民思想スタイルが多い気がする。
王者の余裕なのだろうか。
ビットコイナーと言う宗教自体は、実は少数民族ではないかと思うほど、その存在感がない。

聖戦の通貨たち


ビットコイナーはそんな調子なのだが、リップラーやビットコインキャッシャーは、その座を狙っているだけあって、非常に好戦的である。

他の通貨のことを、異なる正義に基づいて価値判断を行えば、それはコミュニティに対する冒涜となり、その発言をした者が他通貨の中心人物であれば、血を血で洗う聖戦が始まる。
※もう誰も止めることのできない聖戦、例:BTCとXRP。BTCとBCH。
 (戦っている人が3人くらいしか思い浮かばないので、もう通貨単位より個人名で考えた方が簡単かもしれない)

時には、推し通貨のインフルエンサーがあの通貨をディスってる!だから自分もディスってもいいんだ!という雰囲気で数の力で議論を圧倒する場面もある。

その時、インフルエンサーに扇動され、その言葉を借りて、他人への口撃を正当化する人を見かけた時には、「暗号通貨は宗教だなあ」と思う。

参考:コトバンク