2013年から暗号通貨について活動している、とあるモナコイナーのブログである。

2018年11月17日土曜日

モナコイナーのSatoshi's Vision、漫画『支払いはmonaで。』を読むべし

暗号通貨や仮想通貨漫画の先駆者

にすた財団により勝手に認定、モナコインナー思想のバイブル的存在、『支払いはmonaで。』の紹介です。

作者は 須山先生 です。
多くのモナコイナーが暗号通貨に出会った時に感じたことを、代弁しているのではないかと思っています。

ビットコイン(BTC)やビットコインキャッシュ(BCH)が思想の違いでハードフォークしていますが、これは、モナコイナーのSatoshi's Visionみたいなもんです。
(こう書くと、真面目な人から反論が来そうですが、これがジョークだとわからない人はもっと頑張りましょう)


人々がモナコインに出会い、なぜモナコインに熱狂するのか、何が面白いというのだろうか。
なぜモナコインに価値があるについても踏み込んでおり、暗号通貨をよく知らない人にも、是非読んでいただきたい内容です。

モナコインは2014年1月1日からコインの生成を始めましたが、そこで生成されたものは、単なるデータであり、なんの意味も価値もない存在のはずでした。

なぜモナコインは価値を持つのか

須山先生 はこのように説明します。
にすた財団の活動理念でも謳っていますが、モナコインを「価値のあるモノ」と認識し、受け取る個人が存在することによって、モナコインは価値を持ち、この共通の価値観持った個人が集団を形成し、 一人ひとりはバラバラなことをしていても、思想的民族集団(コイナー)として、独自の文化圏や経済圏の創造をすると にすた財団は考えています。

にすた財団 活動理念

暗号通貨を「価値のあるモノ」と認識し、受け取る個人は、共通の価値観持った集団を形成し、 一人ひとりはバラバラなことをしていても、思想的民族集団(コイナー)として、独自の文化圏や経済圏の創造をする

なぜ、モナコインなのか

フォークコインの宿命として、なぜビットコインじゃダメなのかという問いがありますが、須山先生 は極めて素朴な回答を述べています。

そう、面白いからやっている。
「サッカーじゃダメなんですか?」とドッジボールで遊んでいる子供達に語りかけるのは野暮だということです。
本人が面白いことをして遊んでいたら、自然と人が増えるのです。

モナコインをオンラインゲームだと捉える者は多く、どうやって値段を高騰させて、売り抜けるかという複雑なことを考えているというよりは、ただただこの経済ごっこを、本気で楽しんでいるのである。

剣ヶ峰Pの言葉を借りれば、
モナコインの活動で何をするべきかというのは、結局自分が欲しいものを作る、自分の好きな事をやるという事以外にない。
目立った活動をしている人は皆、元々自分の好きだった事とモナコインを組み合わせているだけにすぎない。
自分の好きな物や好きな事と向かい合っている時のエネルギーは何物にも代え難い。
そしてその夢中になっている姿が、また様々な人を惹きつけて、モナコインを大きくして行くのである。

(中略)

モナコインの活動で何をするべきかというのは、結局自分が欲しいものを作る、自分の好きな事をやるという事以外にない。

(中略)

目立った活動をしている人は皆、元々自分の好きだった事とモナコインを組み合わせているだけにすぎない。
自分の好きな物や好きな事と向かい合っている時のエネルギーは何物にも代え難い。
そしてその夢中になっている姿が、また様々な人を惹きつけて、モナコインを大きくして行くのである。

出典 Monappyメモログ モナコインの活動で何をするべきか

モナコインの将来性を語るのが好きな人は、それを語るべし、モナコインの技術的優位性を語りたい人は、それを語るべし、モナコインのチャートについて語りたい人は、それを語るべし、皆それぞれ好きなことを追求することで、モナコインはいよいよ大きくなります。
時には、考え方の違いから議論になることもあるでしょう。
しかし、何が正解なのかは誰にもわかりませんし、それを教えてくれる存在や、決定してくれる存在はありません。
我々モナコイナーは、何をするのも自由です。

「みんなで価値を高め、価値を認める仲間を増やしていくRPG、モナコイン。モナコインのストーリーに終わりはありません。村人を演じるのも、商人を演じるのも、絵描きになるのも自由です。」

全世界でプレイされているオンラインゲーム、モナコインを今すぐプレイ!

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Nakamoto Satoshiの書いた過去の聖典の解釈で争うのではなく、現在の視点で好きにやりたいことや、面白いことをやるという、過去に縛られない人たちの集まりに面白さを感じます。
もちろん、中には、誰かの新しい試みに批判をする人がいるかもしれませんが、議論の範疇であれば、それら健全です。
相手のコミュニティをぶっ潰すなんていう輩はNGです。